発祥の一説は「雛鶴姫伝説」にまつわる「無生野の大念仏」

 


■「無生野の大念仏」(むしょうののだいねんぶつ)は、秋山村無生野で小正月(旧暦の1月16日、ということは今年は3月5日の月曜日だろうか)とお盆の、年に二度披露される民俗芸能だ。
秋山村は、道志村、丹波山村、小菅村と並び山梨四大僻地と称される豊かな自然に囲まれた山間の村だ。

■国の重要無形民俗文化財である「無生野の大念仏」という民俗芸能を語る前に、山梨県上野原市秋山村無生野に伝わる「雛鶴姫」の伝説についてふれておきたい。
南北朝時代のこと、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良(もりよし)親王は、南北朝対立の中、足利尊氏に捕らえられ鎌倉の土牢に幽閉された末、殺される。その幽閉の折すでに親王の児を身籠もっていた雛鶴姫は、亡き親王の首級をいだいて鎌倉を逃れた。秋山村無生野の里にたどりついた雛鶴姫は、そこで王子を産みおとすが、不運にも王子ともども命を落とす。その薄幸に涙した秋山の村人はぶち沢に墓碑塚を築いて弔ったと云われる。

■そしてその秋山村無生野に伝わる民俗芸能「無生野の大念仏」は、護良親王の王子、綴連(つづれの)王が、護良親王と雛鶴姫の追善供養のために始めたものと伝えられている。

■伝説の話しはともかく、「六斎念仏」または「踊り念仏」とも言われるこの踊りは、毎年小正月と盆の16日に、年番当役の家に設けた道場で、阿弥陀、不動明王、十六善神の掛け軸を掲げ、灯明を点じ、塩、砂、供え物をしてしめ縄を張り、かねや太鼓を激しく打ち鳴らす中、白装束に太刀、棒、太鼓を持った踊り手が、念仏を唱えながら「一本太刀」「二本太刀」「ぶっぱらい」の三種を踊り回る。

■山梨県内では山中湖村平野をはじめ、広く大念仏が分布していたが、今ではすべて滅び去ってしまい、この「無生野の大念仏」が、県下で唯一伝承されている大念仏であります。次の次の号で写真をアップしてご報告致します。
あっ!それともいかがですか、お出かけになってみては。
もしよろしければ「やまなし県で逢いませう」

※以下のサイトを参考にさせていただきました:上野原市都留歴史倶楽部七里物語