甲府盆地の湖伝説を伝える「神部神社の舟引き」

 


■毎年3月2日にこの神事は行われるようだが、日程は裏がとれてないので保証の限りではない。
「神部神社曳舟神事」、この、南アルプス市下宮地地区の「神部神社」に古くから伝わる舟引祭は、この地方が湖水であった頃、大和(現在の奈良県)の三輪神社から三輪明神を舟で遷座したという故事から生まれた、という。
「甲府盆地が湖だった」というこの伝説が、かなりかなり興味をそそるものなので、思わずこのコーナーで取り上げたわけだが、やはりこの目で「神部神社曳舟神事」を見てみないことにはどのように説明してよいものやらわからない。

■関係あるやらないやら、これもまたわからないが、甲府市のサイトが「穴切神社蹴裂明神」の解説に「日本伝説集/山中共古先生の報告より」と引用している山中共古の文章が面白かったので、それをまた引用させてもらう。
‥‥‥甲斐甲府の地は、昔、一面の湖水であって、冷たい水の面が、富士の頂きを逆様に映していた。地蔵菩薩がこの土地の様子を見て、「この水を除けて、陸地を造ったら、人も住まれよう、畑も出来よう、どうにか成らぬものか」と二人の神様に相談をされる。神様たちはこれを聞いて、「いかにも道理」と賛成して、一人の神様が山の端を蹴破って、今一人の神様が山を切り穴を開けて、その処に一条の水路を開いて、大湖水の水を今の富士川へ落とさせる。それを見た不動尊は、引っ込んではいられぬと、これも川瀬を造られる。この二仏二神のお陰で、甲府の土地は現われたのである。山を切り穴をあけられた神は今、甲府の西に、穴切神社としてまつられ、山を蹴破られた神は、蹴裂明神として知られている。瀬立不動が川瀬を造った不動様で、今、甲府の東光寺にある稲積地蔵というのが、はじめに云いだした地蔵様である。もとは、法城寺に在ったのを、後に東光寺に移したのである。その証拠には、法城の二つの文字は、水を去り土を成すと読まれるではないか。‥‥‥
「その証拠には」のくだりでは、ホントかよー、と叫んでしまうが、「甲斐湖水伝説」と「神部神社の曳舟神事」は日本古代史のロマンを感じさせてくれるじゃありませんか。

■それやこれや調べていると、平成17年1月30日(日)というから、もう一昨年のこととなるが、第4回やまなし県民文化祭の総合舞台「異聞 甲斐湖水伝説」という公演が山梨県民文化ホールであったことを知る。
甲斐湖水伝説は、このような舞台のテーマにもなったのかと、始めて知る。ストーリーは、‥‥奈良時代の甲斐国国見平(鰍沢町)、大雨続きで湖と化した国府(甲府盆地)に、国見平を訪れた行基僧正が国府の水抜きと国見平に水路を引く知恵を授け、村人は一丸となって立ち上がる、というものらしい。甲府盆地が湖だったという伝説を下敷きにひたむきに生きる人々の姿を描く‥‥。とある。山梨県史のロマンを感じさせてくれるじゃありませんか。
というわけで「神部神社曳舟神事」、ワクワクしながら行ってみたいと思います。次の次の号で写真をアップしてご報告致します。
あっ!それともいかがですか、お出かけになってみては。
もしよろしければ「やまなし県で逢いませう」

※以下のサイトを参考にさせていただきました:Katsuhitoさんのブログ甲府市