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50位

塩山の自然、風景と歴史文化を「ゆっくりのんびり歩いて」というイベント

塩山桃源郷「ひな飾りと桃の花まつり」と「甘蔵屋敷」

重要文化財「旧高野家住宅」は、古くから「甘草屋敷」と呼ばれている。江戸時代に幕府御用として薬用植物である甘草の栽培と管理が申し渡され、それを幕府に納めていた家だったからだ。八代将軍徳川吉宗治世の頃らしい。
その「甘草屋敷」は、JR中央線塩山駅を北口に出るとすぐ真ん前にある。旧塩山市の中心地区だ。2005年11月に、ぶどうの産地として有名な勝沼町と、武田勝頼ゆかりの歴史の地大和村と合併し、甲州市となった。山梨県の中でも史跡、旧跡の多い市である。
その甲州市と甲州市教育委員会、塩山観光協会が主催する「第5回えんざん桃源郷ひな飾りと桃の花まつり」というイベントがある。
期間は、平成19年2月10日(土)〜4月18日(水)と2ヶ月以上のロングランイベントだ。甘草屋敷で、歴史文化、伝統行事の趣たっぷりに雛人形の「段飾り」と「つるし飾り」の展示が始まり、ちょうど今頃、2月の下旬から甲州市塩山竹森の小倉山に群生する「ザゼンソウ」が咲き始め、因みにこの竹森の「ザゼンソウ」群生地は本州の南限とされ、山梨県自然記念物に指定されているらしいのだが、そんな珍しげな「ザゼンソウ」の季節から、4月上旬には甲州市の天然記念物「慈雲寺のイトザクラ」が咲き、4月中旬には県指定文化財天然記念物「雲峰寺の桜」が咲き、クライマックスの桃の花が桃畑一面を埋め尽くす「えんざん桃源郷」の季節に突入する。「恵林寺」では4月12日に「信玄公忌」、そして4月18日「向嶽寺」の秋葉神社例祭まで「えんざん桃源郷ひな飾りと桃の花まつり」は繰り広げられる。



49位

富士川両岸約2キロに渡り、百八つのかがり火が一斉に燃え上がる

南部の火祭り

「南部の火祭り」という祭りは昔から知っている。名前として知っているだけだ。実は一度も行ったことがない。今年の夏は実際に行ってみようと思っている。
祭りに行ったことがないので、祭りの雰囲気はお伝えできないが、南部町の歴史にふれたい。南部町は、当ランキング59位「山梨県にある三つの流鏑馬まつり」で登場する小笠原流礼法の始祖「小笠原長清」の弟、三郎光行公(つまり甲斐源氏の一族加賀美二郎遠光の三男であります)が、源頼朝に従って石橋山合戦で功を挙げ、南部の地を与えられ、姓を南部としたといわれています。そういう話しですからもちろん平安時代のことであります。話しはもう少し続くのですが、「その後、光行公は源頼朝の藤原氏征伐のため、父遠光とともに奥州に行き、またも戦功を挙げ奥州糖部五郡(現代の青森県と岩手県の一部)を与えられ、徳川時代の南部藩の祖となった」というのです。ということはあの「南部牛追唄」の南部でしょうから、これはもうビックリです。南部三郎光行の父「加賀美遠光」は、武田家の始祖「武田信義」の弟に当たるわけですから、言ってみれば山梨県と東北地方盛岡辺りは、引っ張れば親戚関係のようなもので‥‥。
「火祭り」の話しは、こちらの渓流大好き中年探偵団さんのページに詳しいです。丸投げのようで恐縮ですが、今年の夏は写真付きでご紹介出きると思います。


48位

眼下には甲府盆地の大パノラマが広がる山梨県ナンバーワンのデートスポット!

新日本三大夜景「笛吹川フルーツ公園からの夜景」

笛吹川フルーツ公園からの夜景

山梨県「笛吹川フルーツ公園」から眺める夜景が、知らない間に新日本三大夜景と呼ばれていて、そのことを知ったのはかれこれ一年半程前なのですが、去年撮影に赴きましてなるほどこれは新日本三大夜景に相応しい絶景であると感心したのであります。
下にこれから出て参ります当ランキング44位の「勝沼ぶどうの丘天空の湯」もそうですが、甲府盆地を望む高台に位置し、眼下に甲府盆地の大パノラマが広がっています。夜景で有名になったようですが、昼間とて負けてはおりません。昼間であれば彼方に南アルプス連峰と、富士山を見ることもでき、桃の花の季節には一面にピンクの絨毯を敷き詰めた状態となり絶景を通り越し、正に文字通りの「桃源郷」と化すのであります。
夜景で有名になったこの「笛吹川フルーツ公園」ですが、オープンしたのは1995年で、32.2haの広大な敷地内には、フルーツをテーマにした温室や、展示施設など、見どころたくさんです。
近隣には、より高台へ約800メートルほど登った所に、毎朝、日の出の30分前から入浴が出来るとあって地元の人達に絶大の人気を誇る日帰り露天風呂温泉 「ほったらかしの湯」があります。朝日に映える霊峰富士を湯船から眺める感動は言葉では言い表せません。
こうなると「笛吹川フルーツ公園」を中心とするここフルーツライン周辺は、朝から夜までロマンチック気分に浸ることができる山梨ナンバーワンのデートスポットであるといってもよいでしょう。デートするお相手がいればの話しですけど。



47位

「天下茶屋」での滞在をもとに執筆した名作「富嶽百景」 の一節

太宰治の「富士には月見草がよく似合ふ」

国中から郡内は河口湖へ向かう「御坂峠」の旧道沿いに「天下茶屋」がある。 昭和13年の9月から約2ヶ月間、 太宰治がその2階の一室に滞在していたという「天下茶屋」がある。二度三度と建て替えられてはいるが、「天下茶屋」は今でも御坂峠にある。この「天下茶屋」での滞在をもとに執筆した太宰治の名作「富嶽百景」の一節に、「富士には月見草がよく似合ふ」がある。
あまりにも有名なこの一節で、太宰治と山梨県との関係が知れようと言うものだが、その「天下茶屋」での滞在もさることながら、「太宰治と山梨県との関係」にもっと大きく関係しているのが、太宰夫人「津島美智子(旧姓石原)」である。
美智子さんは、生まれは父の赴任地の関係で島根県だそうだが、10才の頃から父の実家である山梨県甲府市に戻り、山梨県立甲府高等女学校から、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)を卒業し、1931年から山梨県立都留高等女学校で教鞭をとっていたそうである。
蛇足であるが山梨県立都留高等女学校は筆者の母の母校である。石原美智子先生が都留高女にいたのはもちろん母が通っていた時代より十数年程前の話しだと思うが。
太宰治こと津島修治とは、井伏鱒二の郷里の後輩で毎日新聞甲府支局の高田英之助の紹介で知り合い、婚約し、それで太宰は「天下茶屋」を下り、甲府駅の北側、「清運寺」の参道沿いの「寿館」に下宿することとなる。
太宰とはまったく関係なく、またまた余談になるが、この「清運寺」には幕末の志士「坂本龍馬」の許嫁(と言っていいものかわからないが)「千葉さな子」のお墓がある。
話しを「太宰治と山梨県との関係」というより富士山との関係に近いのかも知れないが、それに戻すために「富岳百景」の一節から引用させてもらう。

‥‥ 「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声で或る朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。
 娘さんは、興奮して頬をまっかにしていた。だまって空を指さした。見ると、雪。はっと思った。富士に雪が降ったのだ。山頂が、まっしろに、光りかがやいていた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思った。 ‥‥

このように言われた日には、山梨県の魅力ランキングに取り上げないわけにはいかないではないか。
1953年に御坂峠の富士を臨む場所に「月見草」の碑が建つ。井伏鱒二による碑陰を紹介したい。

‥‥ 惜しむべき作家太宰治の碑のために記す 太宰治は昭和十三年秋偶々この山上風趣の爽快に接し乃ち此の峠の草亭に假寓して制作に専念厳冬に至って坂を下り甲府に僑居を求めて傑作富嶽百景を脱稿した碑面に刻む筆跡はその自筆稿より得
昭和二十八年秋 井伏鱒二 ‥‥

碑面にはもちろんこの一節だ。「富士には月見草がよく似合ふ」


46位

信玄の菩提寺「恵林寺」を開いた夢窓国師が修行をした「乾徳山」の入り口

江戸時代中期より続く「徳和の天神祭」

昔から祭りの主役、特に田舎の祭りの主役は小学生くらいの子どもたちだったと思うのだが、少子化の影響をそのまま受け、どんどん子どもの影が薄くなってるように感じるのは私だけでしょうか。
天神祭といえば、菅原道真を祭神とする天満宮のお祭りだそうで、最も大きなのは大阪天満宮の天神祭であるらしい。同じ天神祭とはいえ、ここ「徳和の天神祭」の趣は、その規模に反比例するようにほのぼのとした味わいが大きい。子供が主役なのである。
三富村教育委員会の解説パネルから、天神祭の由来を引用させていただく。

‥‥ 菅原道真公の命日に行われる祭りとして、古くから各集落で子供たちを中心として続けられてきた祭である。ここ徳和地区では、江戸時代中期より1月24日・25日に上組・下組に分かれて親だま(6年生)小だま(5年生)を中心として行われてきた。ここに飾られている山車は、24日にみこしとともに集落中を練り歩く時に使われるものである。現在は、1月24日に一番近い日曜日に大人たちも手伝って行われている。 ‥‥

どなたがやっているのか存じ上げませんが、そんな徳和の風土を味わい深く紹介している「とくわのホームページ」というヤツを見つけたので、ご紹介しておきます。おばあちゃんの言葉を借りたりして、徳和の様子が手にとるようにわかります。



41位

富士山、八ヶ岳、南アルプス連峰、そして桃源郷!夢の絶景コースを翔る

30年の歴史を誇る「南アルプス桃源郷マラソン大会」

山梨県旧中巨摩郡白根町が1977年から毎年4月に行ってきた伝統ある「南アルプス山麓白根桃源郷マラソン大会」は、2003年4月、折しも6町村が合併し誕生した山梨県南アルプス市で「南アルプス桃源郷マラソン大会」と名前を若干改め、第1回と銘打ってスタートした。
毎年マラソンで活躍する著名人を招待選手として招き一緒に走っていただいているが、南アルプス市になっての記念すべき第1回大会のゲストランナーは、あのゴールドメダリスト高橋尚子だった。ゲストランナーが凄いからというわけではないだろうが、全国各地から6千人程のアマチュアランナーが参加する一大イベントだ。
今年の第5回「南アルプス桃源郷マラソン大会」は、2007年4月8日(日)に開催される。参加申込〆切は平成19年3月9日(金)だそうなので、腕に覚えのある、いや足に覚えのある方は、桃や李、さくらんぼの花の中、南東に富士山、北に八ヶ岳、西には北岳をはじめとする南アルプス連峰を臨む絶好の舞台で思いっきり腕試し、いや足試しをしてみたらいかがかと‥‥。


44位

甲府盆地、御坂山塊、南アルプス連峰を一望する絶景パノラマの露天風呂温泉

甲州市勝沼ぶどうの丘温泉「天空の湯」

「ぶどうの丘」と「天空の湯」

日本全国津々浦々絶景と謳われる風景は数あれど、数ある中のその中で、このように本格的な温泉に浸かりながら眺めることができる絶景というのもなかなかないのではないか、と思う。
「天空の湯」のパンフレットにある大月短期大学地球科学研究室の田中収教授の解説文には、
‥‥‥ 世界的にユニークなトライアングルの構造・大三角形盆地と、世界第一級の大地裂帯(フォッサマグナ)の大地変動のドラマに時空的に出会える最高の温泉地環境にあり ‥‥‥
とあり、「なんだかよくわからないけど凄いところだなあ」と、やたら感心する。但し、実際に行って感動した後で、あの細かい文字を全部読む気になったから、「凄いところなんだなあ」と認識できるわけで、田中先生の解説を読んだだけで行く気になるとは思えません。
つまり「天空の湯」で味わうことができる気分爽快感は、広告宣伝文句や、例え白籏史朗がビジュアル写真を撮ろうとも広告宣伝物では「天空の湯」の凄さは伝わらないのです。実際に行って体験しなければわからないのです。
露天風呂のことしかまだ言ってませんが、ここ「勝沼ぶどうの丘」には、ホテル、レストラン、イベントホールもあります。そして当然のことながら「勝沼ぶどうの丘」というからには「ワイン」がなくては始まりません。地下のワインカーブ(ワイン貯蔵庫)には審査会をパスした約150種類の勝沼産ワインを一同に揃え、試飲しながらお気に入りのワインを購入できるシステムになっています。
甲州市勝沼ぶどうの丘温泉「天空の湯」、実は私個人的には山梨の魅力ポイントランキング第1位であります。



43位

修験道の開祖、役の行者が金峰山で村民を苦しめた大蛇を退治した故事に由来する

伝説の奇祭!大善寺「藤切り祭り」

山梨県にも奇祭と呼ばれる類の風変わりな祭がいくつかある。中でも「大善寺の藤切り」は、約1300年前の故事に由来するといわれている伝説の奇祭だ。
ぶどうの名産地、山梨県甲州市勝沼町の「大善寺」については、その本堂(薬師堂)が鎌倉時代に建造された国宝建造物であるため、このランキングでも上位に登場させる予定でいるので、いずれそちらをご覧いただくとして、この大善寺で毎年5月8日に行われる「藤切り祭り」を紹介したい。
この奇祭は、約1300年前、修験道の開祖とされている役行者(えんのぎょうじゃ)が金峰山(きんぷさん)で村民を苦しめた大蛇を退治した故事に由来しているという。修験道ときて金峰山と来れば、奈良県の吉野山や山上ヶ岳あたりの金峯山修験本宗の総本山のことであろうが、ご存じ金峰山は山梨県と長野県の境にもある。全国各地の金峰山同様、吉野の金峰山から蔵王権現を勧請したことによるという、標高2599mの奥秩父山塊主峰である。
このような信仰絡みの伝説が今でも祭として残り続けていること、役行者の大蛇退治伝説が山梨県にも祭として残っていることが、実にロマンティックだ。
この祭、山梨県に住んでいながら実際に見たことがないので、これを機会に今年の5月8日には是非見に行きたいと思っている。どうやらこの「大善寺の藤切り」、役行者vs大蛇の伝説を芝居仕立てで見せてくれるらしい。楽しみじゃありませんか。


42位

新羅三郎「源義光」の曾孫「信義」は、この神社の社前で元服し、武田氏を名乗った。

武田氏発祥の地「武田八幡宮」

山梨県の史跡、旧跡を巡っていると、ほとんどが武田家と何らかの形で繋がっていることに驚く。武田信玄の存在の大きさから言って当然といえば当然かも知れないが、武田氏のルーツを辿って甲斐源氏の家系図を眺めながら山梨を歩くと、当然のことと知りながらも驚きの史実に出逢ってあらためて感心したりする。
武田八幡宮は武田家の氏神である。それと同時に武田氏発祥の地である。武田氏の始祖である「武田信義」公は、清和源氏の流れをくむ河内源氏の二代目「源頼義」の子である新羅三郎「源義光」の曾孫にあたる。文字で書くとなんだかよくわからないだろうが、日本史の因果が脈々と連なっている様が見えているわけだ。
その「武田信義」公から、数えること十五代後の武田家当主が、武田晴信(信玄公)ということになる。
考えるに、武田信玄が没したのが今からおよそ430年前、武田信義が武田八幡宮の前で元服したのが、その約430年前、武田八幡宮が嵯峨天皇(清和源氏の元祖清和天皇の四代前)の勅命により創建されたのが、そのまた約350年程前のこと、等々を考えるに、我々が武田信玄公を偲ぶのとほぼ同じ時間(歴史)的スパンで、信玄公は武田信義公のことを偲び、信義公は信義公で、それとまたほぼ同じ時間(歴史)的スパンで、武田八幡宮に祀られた土地の神、日本武尊の御子、武田王を偲んでいたのだと‥‥‥。
どうですか、歴史の、山梨の歴史のロマンを感じませんか。



45位

日本最古の傀儡子(くぐつ)舞を今に伝える国指定重要民俗文化財

等身大人形九体がお舟囲い上で舞う伝説 「天津司の舞」

まず最初はどう読んでよいのやらわからなかったこの漢字、「てんしんつかさのまい」ではなかった。どうやら「てんずしのまい」と読むらしい。国が指定する重要民俗文化財だ。ウィキペディアで見ると、山梨県にある国指定重要民俗文化財は、この「天津司舞」と当ランキング74位で採りあげた「無生野の大念仏」の二つの民俗芸能がある、らしい。二つしかないのか、二つもあるのかよくわからないが、山梨に暮らしていながら読み方さえ知らなかったのは恥ずかしい限りである。
どうやらこの「天津司の舞」は、日本最古の傀儡子(くぐつ)舞を今に伝えているらしい。どうやら、4月10日前の日曜日に、天津司神社(小瀬町)から鈴宮諏訪神社(下鍛冶屋町)までの「おなり道」を九体の等身大人形(ご神像)が御幸し、どうやら鈴宮諏訪神社の「お舟囲い」と呼ばれる幕の上でその人形が古式ゆかしい舞を披露する、らしい。
4月10日前の日曜日といえば今年は4月8日だ。これはなにがなんでも行って見ねばなるまい。
「傀儡舞」ってなんだ?その前に「クグツ」ってなんだ?っていう話しであるが、これがまた調べれば調べるほど面白そうだ。長くなるから、というか説明できるほど調べてないのでご勘弁を。
お詫びの印というわけではないが、ネットを検索中に非常に面白い文章にブチ当たったのでご紹介したい。福岡哲司さんの文章らしいのですが、定かではありません。
フッタの情報によればおそらく「山梨大学国語国文学会『会報』第二十三号」に載っているのでしょうね。「幻の卒業論文テーマ」というタイトルが付いたエッセーのようです。


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